TMAP's blog

インターネットを利活用したビジネスを展開している経営者を尊敬し、源じいも将来インターネットを利活用したビジネスで成功したいと思っているので、気づいたことを日記風に書き記したいと思っている。

季節便り 2014年 12月 「ゆく川の流れは絶えずして」

二〇一四年 十二月(師走)に入り、今年ももう僅かです。一年で最も日照時間が短い月です。夜の時間が長いことで、昼間の太陽の温かさがありがたいです。

北欧から来た、近くに住んでいる外国人に、このあたりの住み心地は如何か尋ねたことがありました。鎌倉の冬が大変好きだと云っていました。北欧の冬は、灰色の空に覆われ、夜が長いそうです。憂鬱感漂う空と違い、真っ青な澄み切った空を見た時に感動を覚えたと云っていました。

確かに、一年で最も美しい白雪富士山と透き通った青空が眺められるのは、今月と来月あたりかもしれません。日本人である私も確かに関東の真冬の空は美しいと納得したのを思い出します。

真っ青な澄み切った空を見ながら、ふと、方丈記

「ゆく河の流れは絶えずして、

しかも、もとの水にあらず。

淀みに浮かぶうたかたは、

かつ消え、かつ結びて、

久しくとどまりたる例なし。」

という随筆の一節が頭によぎりました。

流れゆく川の水は絶えないのであるが、流れをなしている水は刻々と移り、もとの水ではない。  流れの留まっているところに浮かぶ泡は、消えるものがあり、一方で生じるものもあるが、それでも長続きするものはないものだ。

世に住む人間とその住居とはやはりこのようなものである。・・・朝に死するものがいれば、夕方に生まれるものもいる。これら世の姿というものは、まったく水に浮かぶ泡に似ているのである。 

この世に永遠に続くものはなく、消滅し、変遷し、また新しいものが生まれ、時が流れていく、そこに仏教的な思想である「無常」が漂っているのです。

生きるものの輪廻、一時の栄華に溺れる事なかれ、だれも彼もいつかは自然に還る、執着する事なく、あるがままに受け入れ、生きる、そしてお迎えが来たら、次の生命にバトンタッチする。

ここに、生きる事の価値観が日本人の魂に奥深く刻まれているように思います。このような人生観が12世紀ごろには、既に存在していたわけです。

また、こんなことも考えられるように思えてきます。世の中の出来事は留まる事がないのだから、絶えず変化している自然環境に順応するためには、自分自身も変化させることが重要なのだと。

自分自身の考えを固定して、自然を制御しようという考えに立っていると、自然と対峙してしまうことになりますが、自然の変化に合わせて、自分も変化させると、あるがままに受け入れ、対峙することなく、調和ができるという事になります。

これをビジネスの世界に落とし込むとどうなるのでしょうか。

自分を固定せず、自分自身を変えることにより、気づいていないこと、見えなかった世界が見えてくるということかも知れません。

自分の考えが固定的になった時に、だれかがそれに気付きを与えてくれるとありがたいものです。仕事を通して、そのような友人を得ることはとても大切ではないかと思います。

自分が信じていること、固定的にこうだと決めつけている事を時には、疑ってみることが必要なのでしょう。

この世に永遠に続くものはないのですから、変わらなければならない時があるはずです。

やはりこのあたりは、体験が必要な気がします。頭で理解しても実践が伴わなければ何も活かされたことになりません。

来年はこのあたりを挑戦したいと思います。

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http://youtu.be/16Y4uvp0XUw

 

源じいさんより