「孫子」 季節便り 2014年5月
二〇一四年 五月(皐月)になり、薫風かおる新緑。あちらに見える山も緑に包まれ、森林浴ができます。とても気持ち良い日になりました。あちらこちらの庭先では、色とりどりの花をきれいに植えて楽しんでいる家を見ながら、ぶらぶらと散歩していますと気持ち良い風にあおられて、また心地よいものです。
先だって、購入したエコストーブ(レジャー用かまど)にはまっています。自分の家の庭先で、まきを燃やして鉄釜に入れたご飯を炊いてみました。
ご飯がうまく炊けたか自信がなかったのですが、その不安を裏切って、とてもおいしくいただけました。
また、さつまいもやジャガイモをアルミホイルして。薪が燃え盛る中に投入。しばらくしてから取り出しました。
焼き芋が程よく甘みが出て、これは成功。ジャガイモも塩をふりかけ、バターをのせて食べましたが、これも成功。かまどで食べる料理にただ感謝。
電気やガスがない事態になっても、これなら食べていける。食料を手に入れることがかなえば、最低限の生活ができるだろうと思っています。
この満足感にしばらく浸っていましたが、これに留まらず、心の奥深いところから湧き出る満足感以上の何かが欲しい。その更なる要求は、なんだろうかと考えることにしました。
自分一人で満足してもまだ物足りないのです。更なる喜びを求めていることに気づかされます。
それは、自分だけでなく「人様を喜ばす」ことです。
我々は、「人様を喜ばす」ために、何かに真剣に取り組んでいるのです。
「人様を喜ばす」とは究極的には、感動を与える事であると、いえるのではないでしょうか。
中国古典「孫子」孫武,その弟子たちが書いたとされるこの書物は、多くの経営者に読まれている本だそうです。私もつい先月読み終えたところですが、こんなくだりがあります。
【行軍編】
「卒、いまだ親附せざるにも而もこれを罰すれば、
則ち服せず、服せざれば、則ち用い難きなり。
卒、親附せるに而も罰行われざれば、
則ちもちうべからざるなり。故にこれを令するに
文を以ってし、これをととのうるに武を以ってす。
これを必取と謂う。令、もとより行われて、
以ってその民を教うれば、則ち民服す。」
兵士が十分なついていないのに、罰則ばかり適用したのでは、兵士は心服しない。心服しないものは使いづらい。
すっかりなついているからといって過失があっても罰しないなら、これもまた使いこなせない。・・・・・・・
組織をまとめるには、一に、心服、二に規律統制,三に強い危機感を共有することだと説いています。
当たり前の指摘の様にも思えますが、一つ見逃せないのは、愛情や温情による心服(親附)が先に来ている点。
人様に「あの人ならついて行ける」という気持ちが先になければ、組織をまとめられないということでしょうか。
人様に感動を与えられることと人様が「心服」する事との間には共通点があるのではないでしょうか。
どんなに自分ひとりが満足感に浸っても、更なる豊かさを求めて、心の奥底から人様に感動してもらう喜びを得たいと思うことは大切。仕事をし続けるのはその喜びを得るためといっても良いような気がします。
源じいより