気性、気質とは何か。
気性、気質とは何か。
二〇一四年 一月( 睦月)になり、午年になりました。空気が乾燥して、遠景の山間がくっきり見える日が多くなり、目にしっかりとした形が残像として残ります。
今年はどんな年になりそうですか。
人はいくつになっても自分の意志で気性、あるいは性格、人格を変えることができるという人がいます。自分に当てはめて、この事をじっくり考えてみたくなりました。答えはなんでしょうか。
変えられるところもあるが、変わらないところもあるというのが正直なところです。
気性、気質と言うのでしょうか。自分の奥深いところで感じている快・不快を感じ取る部分です、脳の海馬と深く関わっているといわれます。気性、気質はいくら年をとっても持ち続けているような気がします。
一方、性格とか人格は変えられるような気がします。環境、教育、人生経験、人との交流などを通じて、磨かれていくような気がします。真逆に荒んでしまう人もいるかもしれません。
人が育つ環境、教育を受けるという事が人の性格とか人格に大きく影響するという主張には納得感があります。
気性、気質は経年劣化するのだとも言われます。年を重ねるとともに、好き嫌いという感情を控える美徳、倫理観、態度が出てくるからでしょうか。
生れながらして、生理的に埋め込められた「気」はそれでも無くならない。いくら年をとっても、時々、ひょっこり顔を出してくる時があります。どうも正直なのではないかと思うのです。
生れながらして、感じる情と繋がっているからでしょう。
生れながらずっと持ち続けている気性、気質に正直に従い、肯定していく。これを否定するのはどうも愚かなことだと思えてきます。
出来るだけ、自分が「快」と感じる時間、空間に身を置けるようにする。その中で、意欲、やる気、実力を出し切る。
「気」という言葉は古来の日本人が多くの表現をしてきたように思います。「気」は「心」と違うのでしょう。
「気」がすすまない。「気」が合わない、「気」にする、等言葉がありますが、心という文字は使いません。
つまり、心に到達する前に最初に「気」が人の行動の始点になっているのではないでしょうか。
別なものを合わせるには、お互いに少しづつ相手の「気」を調節する。
「気」を調節する、どうもこれができるか否かでずいぶん人との交流の巧拙が変わってくるように思います。
気が合わない人に出会った時、相手の視線がどこに置かれているのかを観察してはいかがでしょう。
同じ対象物を見ながら、何かを発言する、それだけで、少し「気」の違いの距離が縮まり、寄り添えるような気がします。寄り添える気遣いが相手に伝われば、きっとうまくいくはずです。また、視線をずらして、応接室で花瓶を眺めたり、壁に掲げられている絵画を眺めて、何か感想を言ってみたりする。それだけでも相手との距離が縮まることもあります。
それでも「気」が合わない人に出会い、どうしてもうまくいかないと感じた時は、退散しても良いのではないでしょうか。
結果がどうもよくならないと思ったら、変に固執せず、一定の距離を置いて、次の機会を狙えばよいのです。
自分が快と感じる場、空間、時間の中に身をゆだねて、「気」を整えましょう。
「気」が整えば、相手との呼吸、波長もあっていくはずです。そして、心が弾み、身体も動き始めます。行動する力になります。
自分の「気」を整えることからすべてが始まります。
今年一年、「気」を整える、相手の「気」を調節するという事に取り組んではいかがでしょうか。
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源じいより
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